こんにちは、ミルです。
私は福祉系の専門学校を卒業後、知的障害者授産所施設に就職しましたが、ブラックですぐに退職しました。
福祉施設はボランティアと残業の境界線があいまいになる事があると思います。
その時の話をまとめてみました。
障害者授産施設とは?
授産施設とは、さまざまな事情から一般就労や十分な収入の確保が難しい人を対象とし、就労やスキル習得・自立をサポートする施設を指します。
就職先がブラックすぎる
面接
試用期間は2ヶ月間で、その後正社員として働く形態でした。
試験内容は書類審査と面接のみ。
書類審査はパスしたので後は面接。
そして、この面接の最大の特徴は歌を歌う事。
👩「みんなの前で歌うことはできますか?」
👨「はい!できます」
👩「一曲歌ってください」
👨「はい!『長渕剛の乾杯』歌います。固〜い絆に〜🎶」
音痴な私の長渕力は10秒後に「はい、もう大丈夫です」と遮られました。
歌は遮られましたが、見事合格。
私を含めた5人の受験者が合格しました。
初出勤
5人の同期と不安半分、期待半分で説明をうけます。
まず初めに施設の見学、施設の概要、普段行っている作業内容の説明がありました。
この施設では色々と事業をされており
- 重度身体障害者の介助
- 知的障害者の軽作業の指導
- グループホーム
- パン屋
今後は居酒屋も開業する予定とのこと。
グループホームとは?
知的障害者や精神障害者、認知症高齢者などが専門スタッフの支援のもと集団で暮らす家のこと。単調な生活になりがちな病院では認知症の進行が早まる可能性があることから、より実生活に近い生活と家庭的なケアを実現するために作られた介護サービスです。通常5~9人の高齢者がヘルパーさんの助けを借りて共同で生活を送ります。(一部抜粋)
(引用:e-ヘルスネット/厚生労働省)
私の担当は昼間は重度身体障害のある方の介助、夜はグループホームでのお世話になりました。
昼間働くのはわかりますが、夜はグループホームを担当してもらう?
全く意味がわかりません。
よく理解できないまま一軒家に案内されます。
👩「ここで今日から世話人として働いでもらいます。」
説明によると私の仕事は
- 昼は重度の心身障害者の人の世話
- 夕方はグループホームに戻り4人の知的障害者と共同生活
- 朝に障害者を送り出して自分も出勤する
出勤した初日からいきなり家に帰れず、前任者からは簡単な申し送り。
展開が早過ぎて頭が追いつきません
前任者のグループホームの世話人はというと「僕は 1年間世話人をやってたけど、もうすぐこの施設やめるんだ!後はよろしくおねがいね」笑いながらと怖いこと言ってくる
1年世話人やったってどういうこと、、えっ、なに、1年って、、
グループホームでの生活
〜1日の流れ〜
- 朝:みんなに朝ごはん作って、仕事に送り出す。そのあと自分も出勤
- 昼:重度心身障害者の介助(ご飯の介助、トイレ、お風呂の介助)
- 夕方:少し早く帰ってみんなの晩ごはんの準備
- 夜:お風呂入ったり、利用者の家計簿記録
4人の利用者は知的障害はありましたが、自分の事は自分でできる人だったので、世話人といっても家計簿つけたりトラブルを解消したり。
世話人の仕事自体はけっこうたのしかったです。毎日笑いながら生活してました😀
楽しかったこと
- 「〇〇さんがお風呂覗いてくる!」と毎日喧嘩になる事の仲裁
- 「よく寝れないから一緒に寝て下さいと」20歳も年上のおじさんにお願いされる
- みんなでプロレスごっこしたり将来の話をしたり、トランプして遊んでました
大変だったこと
- 私が失言すると施設長にちゃんと報告されるので言葉に気をつける
- 何か腑に落ちないことがあるとずっとそのことが頭に離れず呟いている時がある。「気になることがあったんですね!トイレに流しましょうか!」と促して一緒にトイレに行き水に流す事が必要
- 週末しか家に帰れない
週末しか家に帰れないのは苦痛でした。
グループホームは平日みんなで共同生活をしますが、週末は自宅に帰ります。
世話人もここで家にやっと帰れるのですが、金曜日に自宅に帰るみんなを見送って、世話人の自分が家を出れるのが19時ごろ。
次にみんながホームに帰ってくるのは月曜日の夕方なので、私の自由な時間は金曜日の夜から月曜日の朝まで。
20歳の私には大変苦痛です。
ギリギリまで彼女と一緒にいたかったので、月曜日の朝に高速にで職場に向かう生活をしていました。
そんな生活をして1ヶ月がすぎた給料日。
「これだけ拘束されていたんだから給料も高いだろう」とワクワクしながら給料明細を開けたらなんと
10万円‥
退職を決意し、その日のうちに施設長に退職の連絡をしました。
その時にはすでに5人いた同期は、私を含めてすでに2人。
「もう退職させてもらいます」
と施設長に告げましたが、施設長からの提案がありました。
- 今のグループホームのメンバーのクセが強いので、違うグループホームに移動させること
- 身障者のケアではなくパン屋で働いてもらうこと
本質的な問題が何も解決していません。しかも癖が強いとわかっていたならどうして新人に最初から任せたのか?
住む場所と職場が1ヶ月でまた変更になり新しい生活が始まりました。
次のグループホームで一緒に住む事になったのも、私と利用者の方が4人の計5人でした。
利用者の方はパン屋で働けるレベルなので、以前一緒に生活していた方々とは異なり、ケンカもなくあまりお互いに干渉しない生活になりました。
次の生活は昼はパンを売って、夜はグループホームに帰る。
結局ここで何を学んで何になりたいのかわからなくなり、試用期間である2ヶ月で退職しました。
まとめ
2ヶ月しか働いていませんが、福祉の業界にはボランティアという言葉のサービス残業やグループホームという名前の強制的な拘束も存在すると思います。
福祉の仕事はやりがいもあるし、利用者の方の笑顔、一緒に成長していけているという実感も感じられました。
しかし良い施設もあれば私の就職した施設のようなところもあり、サービス残業をボランティアと言い換える事で問題が表面化しない部分もあると思います。
難しい話です。