私は福祉系の専門学校を卒業後、知的障害者授産所施設に就職しましたが、その職場がブラックだったのですぐに退職したことがあります。
私が就職した当時は「一度就職したら3年は耐えるべき」という意見が強く、当時は私自身も「すぐにやめてしまって情けない」という気持ちがありましたが、現在振り返ってみると『さっさと転職してよかった』と思っています。
長く勤めても合わない所は合わないし、一時的に耐えることが出来ても無理をしているのどこかで歪みが生まれて、長期間働くことができないことになる可能性もあります。
今回は就職先がブラックだった話をまとめてみました。
就職先がブラックすぎる
面接

私が最初に就職先として選んだのは、障害者授産施設です。
障害者授産施設とは?
授産施設とは、さまざまな事情から一般就労や十分な収入の確保が難しい人を対象とし、就労やスキル習得・自立をサポートする施設を指します。
試用期間は2ヶ月間で、その後正社員として働く形態でした。
試験内容は書類審査と面接のみで、書類審査を通過したので面接へ。
この面接の最大の特徴は歌を歌う事。
「みんなの前で歌うことはできますか?」
「はい!できます」
「一曲歌ってください」
「はい!『長渕剛の乾杯』歌います。固〜い絆に〜
」
音痴な私の長渕力は1、0秒後に「はい、もう大丈夫です」と遮られました。
歌は遮られましたが、合格することが出来ました。受験者は5人中5人合格。この試験で落とされることはなかったのでしょう。
初出勤

初出勤の日は5人の同期と、施設の見学、施設の概要、普段行っている作業内容の説明がありました。
施設では4つの事業を展開されており、今後は居酒屋も開業する予定とのこと。
- 重度身体障害者の介助
- 知的障害者の軽作業の指導
- グループホーム
- パン屋
グループホームとは?
知的障害者や精神障害者、認知症高齢者などが専門スタッフの支援のもと集団で暮らす家のこと。単調な生活になりがちな病院では認知症の進行が早まる可能性があることから、より実生活に近い生活と家庭的なケアを実現するために作られた介護サービスです。通常5~9人の高齢者がヘルパーさんの助けを借りて共同で生活を送ります。(一部抜粋)
(引用:e-ヘルスネット/厚生労働省)
私の担当は昼間は重度身体障害のある方の介助、夜はグループホームでのお世話になりました。
夜はグループホームを担当してもらう?
どういうことでしょうか??
全く意味がわかりません。
よく理解できないまま一軒家に案内され、言われたことは
「ここで今日から世話人として働いでもらいます。」
施設長からの説明によると、私の仕事は大きく3つ。
- 昼は重度の心身障害者の人の世話
- 夕方はグループホームに戻り4人の知的障害者と共同生活
- 朝に障害者を送り出してから出勤する
出勤した初日からいきなり家に帰れず、前任者からは簡単な申し送を受けることになりました。
展開が早過ぎて頭が追いつきません
前任者の世話人はというと、「僕は 1年間世話人をやってたけど、もうすぐこの施設やめるんだ!後はよろしくおねがいね」と笑いながらと怖いこと言ってくる
1年世話人やったってどういうこと!?えっ、なに、1年って、、
グループホームでの生活

出勤当日からグループホームの世話人という仕事につき、初日から帰れないという状況になった私の仕事は以下の通り。
- 朝:みんなに朝ごはん作って、仕事に送り出す。そのあと自分も出勤
- 昼:重度心身障害者の介助(ご飯の介助、トイレ、お風呂の介助)
- 夕方:少し早く帰ってみんなの晩ごはんの準備
- 夜:お風呂入ったり、利用者の家計簿記録
4人の利用者は知的障害はありましたが、自分の身の回りのことは自分で出来る人達だったので、世話人といっても家計簿つけたり、ちょっとしたトラブルの仲裁したりでした。
グループホームでの生活は楽しく毎日笑いながら生活してました
世話人の変わった仕事
- 1日の利用者の支出管理
- 「〇〇さんがお風呂覗いてくる!」など日常生活のトラブル仲裁
- 「よく寝れないから一緒に寝て下さいと」20歳も年上のおじさんにお願いされるので、一緒の部屋に寝る

初日からみんな仲良くしてくれたのですぐに打ち解けることが出来ました。
大変だったこと
- 失言すると施設長にちゃんと報告されるので言葉に気をつける
- 何か腑に落ちない事があると、そのことが頭に離れず呟いている時がある。「気になることがあったんですね!トイレに流しましょうか!」と促して一緒にトイレに行き、水に流す
- ご飯の時間に米が少し残った時に、決まったおかずじゃないと食べられないので作り直す必要がある(こだわりが強いので)
- 週末しか家に帰れない
最悪だったのは、週末しか家に帰れないこと。
グループホームは平日みんなで共同生活をしますが、週末は自宅に帰ります。
世話人もここで家にやっと帰れるのですが、金曜にみんなを見送って、自分自身が家を出れるのが19時ごろ。
次にみんながホームに帰ってくるのは月曜日の夕方なので、私の自由な時間は金曜日の夜から月曜日の朝まで。
20歳の私には苦行すぎる
ギリギリまで彼女と一緒にいたかったので、月曜日の朝に高速で職場に向かう生活をしていました。
給料

昼間は重症の心身障害者の世話をして、夕方からはグループホームの世話人として働いた1ヶ月後の給料日。
家には週末しか帰っていません。
「これだけ拘束されていたんだから給料も高いだろう」と、ワクワクしながら給料明細を開けたらなんと
10万円‥
給料からはグループホームで食べた食費も引かれていました。
給料をもらったその日に退職を決意し、施設長に退職の連絡をしました。
退職

その時には5人いた同期はすでに3人退職していて、残ったのは私を含めて2人。
「もう退職させてもらいます」と施設長に告げましたが、施設長からの提案が2つありました。
1 今のグループホームのメンバーのクセが強いので、違うグループホームに移動させること
2 身障者のケアではなくパン屋で働いてもらうこと
給与面や勤務時間の事が何も解決しないまま問題をすり替えるだけの提案で、住む場所と勤務場所が1ヶ月で変更になり、新しい生活が始まります。
次のグループホームで一緒に住む事になったのも、私と利用者の方が4人の計5人。
利用者の方はパン屋で働けるレベルなので、以前一緒に生活していた方々とは異なり、支援も特に必要なく、お互いに干渉しない生活になりました。
新しい生活では、昼にパンを売って、夜はグループホームに帰って朝にまたパン屋に向かうというもので、住み込みでパン屋のレジ打ちをするような日々になっていき、ここで何を学んで何になりたいのかわからなくなり、試用期間である2ヶ月で退職しました。
まとめ
「仕事を始めたら歯を食いしばってでも3年は勤務しろ」という事を言われてきましたが、自分に合っていないと感じたら早めに見切りをつけて行動することの大切さを学びました。
障害者福祉施設を退職後、もう1度の転職を経て、現在の職場で働くようになり、勤続年数はまもなく20年をむかえようとしています。
自分に合う仕事なんてやらないと分からないし、一回で自分に合った仕事につけるのは本当にラッキーなことだと思います。
無理をしないようにどんどん行動していきましょう!!