【体験談】ハローワーク経由で入社したらブラックだった

ハローワークで仕事探したらブラックだったって話きくんだけど、そんなことある??

あるある!実際に私がハローワーク経由で入社した所がブラックでした!笑

筆者は現在の仕事に就く前ハローワーク経由で仕事を探し就職しましたが、ブラックすぎて2ヶ月で退職した経験があります。

「石の上にも三年」ということわざもある通り、新しい環境や仕事に慣れて一人前になるまでにはそれなりの時間がかかるから焦らず続けた方がいいと頭ではわかっていて、当時は私も「就職してすぐにやめてしまって情けない」という気持ちがありました。

しかし、振り返ってみるとブラックな会社なんてさっさと転職してよかったと思っています。

長く勤めても合わないところは合わないし、一時的に耐えることが出来ても結局無理をしていることには変わりないからです。

今回は筆者が就職したところがどのようにブラックだったのかまとめてみました。

この記事でわかること

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この記事の著者

肩書き

performer

パフォーマー

プロフィール

子供が5人大家族のパパ。 35歳の時に筋トレを始めて40歳からボディビルコンテストに出場しています。 筋トレを通して得られた経験や考え方などを発信しています。

就職先がブラックすぎた

最初に就職したのは、障害者授産施設です。

私は福祉関係の学校を出ていたので、福祉方面で絞って仕事を探していました。

実習中に老人介護は自分には合わないと感じていたため、障がい者方面の仕事で働くことを決めており障害者授産施設を選びました。

この施設を選んだ理由は給料が悪くなかったこと(17万円くらい)、週休2日制、アットホームな職場と記載されていたからです。

障害者授産施設とは?

授産施設とは、さまざまな事情から一般就労や十分な収入の確保が難しい人を対象とし、就労やスキル習得・自立をサポートする施設です(障がい者の方と一緒に軽作業を行いサポートをする仕事です)

面接

ハロワから「書類審査に通過した」連絡がありと面接へ向かいました。

雇用形態は試用期間が2ヶ月間で、その後正社員として働みたいです。

いよいよ面接。軽い雑談の後に面接の最終関門『歌を歌う』

👩:「みんなの前で歌うことはできますか?」

👨:「はい!できます」

👩:「一曲歌ってください」

👨:「はい!『長渕剛の乾杯』歌います。固〜い絆に〜🎶」

音痴な私の長渕力は3秒後に「はい、もう大丈夫です」と遮られました。

当時は「音痴すぎて面接に落ちた‥」と思っていましたが、蓋を開けてみると受験者は5人中5人合格。

みんなやめるから最初からたくさん入れる予定だったんでしょう

初出勤

初出勤の日は5人の同期と施設の見学、施設の概要、作業内容の説明を受けました。

施設では4つの事業を展開しており、今後は居酒屋も開業する予定とのこと。

  1. 重度身体障害者の介助
  2. 知的障害者の軽作業の指導
  3. グループホーム
  4. パン屋

グループホーム

知的障害者や精神障害者、認知症高齢者などが専門スタッフの支援のもと集団で暮らす家のこと。単調な生活になりがちな病院では認知症の進行が早まる可能性があることから、より実生活に近い生活と家庭的なケアを実現するために作られた介護サービスです。通常5~9人の高齢者がヘルパーさんの助けを借りて共同で生活を送ります。(一部抜粋)
(引用:e-ヘルスネット/厚生労働省

施設概要と作業内容の説明を受けた後、それぞれの担当を配分されます。

私の担当は昼間は重度身体障害のある方の介助、夜はグループホームでのお世話になりました。

夜はグループホームを担当してもらう?どういうことでしょうか??

全く意味がわかりません。

よく理解できないまま一軒家に案内され、言われたことは

👩:「ここで今日から世話人として働いでもらいます。

施設長からの説明によると、私の仕事は大きく3つ。

  1. 昼は重度の心身障害者の人の世話
  2. 夕方はグループホームに戻り、4人の知的障害者と共同生活
  3. 朝に障害者を送り出してから出勤する

出勤した初日からいきなり家に帰れず、前任者からは簡単に仕事内容の説明を受けることになりました。

展開が早過ぎて頭が追いつきません

前任者の世話人はというと、僕は 1年間世話人をやってたけど、もうすぐこの施設やめるんだ!後はよろしくおねがいねと笑いながらと怖いこと言ってくる

1年世話人やったってどういうこと!?えっ、なに、1年って‥

出勤した日は一度家に帰って生活用品を取りに戻り、その日からブラックな日々がスタートしました。

1日の流れ

突然始まった5人での同居生活。

当時の私は20歳で4人の同居人は30歳〜40歳。

全員知的障害があるので心は少年のようでしたが、毎日がてんやわんやです。

6時:4人の利用者を起こし、朝食作りスタート。

その間にみんなは洗面をしたり、出勤の準備をします。

8時:みんなを送り出し、家の片付け・出勤の準備

9時:出勤(歩いて5分くらいの所に職場があります)

勤務時間

9時〜16時:重度の心身障害者の食事介助や入浴支援等。

一般的な福祉施設で行なっている支援を行います。

勤務後〜夜

16時退勤。

夕ご飯は別の人が作ってくれており、利用者が帰ってくるのを待ちます。

みんな揃ったら夕ご飯を食べて、お風呂に入ったり、それぞれの時間を過ごします。

グループホームでの生活

グループホームでの仕事は多くはありません。

  • 朝:みんなに朝ごはん作って、仕事に送り出す。そのあと自分も出勤
  • 昼:施設で働く
  • 夜:基本的に自由(利用者の家計簿記録のみ)

4人の利用者は知的障害はありましたが、自分の身の回りのことは自分で出来る人達だったので、世話人といっても家計簿つけたり、ちょっとしたトラブルの仲裁位です。

グループホームでの生活そのものはとても楽しく、毎日笑いながら過ごしていました 笑

世話人の変わった仕事

  • 日々の利用者の支出管理
  • 「〇〇さんがお風呂覗いてくる!」など日常生活のトラブル仲裁
  • 「よく寝れないから一緒に寝て下さいと」20歳も年上のおじさんにお願いされるので、一緒の部屋に寝る

「一緒に寝てください」と言われた時は気持ち悪いなと思っていましたが、布団を並べて眠ることに特に抵抗もなくなって「意外とすぐに慣れるものだ」と実感していました。

イタズラする人や神経質な人がいてちょっとしたトラブルは多かったのですが、喧嘩にまで発展することもなく日常は平和そのものです。

大変だったこと

  • 失言すると施設長に報告されるので言葉に気をつける
  • 何か腑に落ちない事があると、そのことが頭に離れず呟いている時がある。「気になることがあったんですね!トイレに流しましょうか!」と促して一緒にトイレに行き、水に流す
  • ご飯の時間に米が少し残った時に、決まったおかずじゃないと食べられないので作り直す必要がある(こだわりが強い)
  • 週末しか家に帰れない

大変というか最悪だったのは、週末しか家に帰れないこと。

グループホームは平日みんなで共同生活をして週末は家に帰りますが、世話人が1人しかいないので必然的に世話人も週末しか家に帰れません。

しかし世話人が家に帰れるのは、金曜にみんなを見送って19時から。

次にみんながホームに帰ってくるのは月曜日の夕方なので、世話人が家に帰れるのは金曜日の夜〜月曜日の朝まで。

どういうこと?

ギリギリまで彼女と一緒にいたかったので、月曜日の朝に高速で職場に向かう生活をしていました。

1人に負担がかかりすぎるような無理な事業は続きません。

安すぎる給料

昼間は重症の心身障害者の世話をして、夕方からはグループホームの世話人として働いた1ヶ月後の給料日。

家には週末しか帰っていません。

これだけ拘束されていたんだから給料も高いだろう」と、ワクワクしながら給料明細を開けます。

10万円

給料からはグループホームで食べた食費も引かれていました。

給料をもらったその日に退職を決意し、施設長に退職の連絡をしました。

退職へ

私が退職を申し出たのは入社から1ヶ月後でしたが、5人いた同期はすでに3人退職していて、残ったのは私を含めて2人。

「もう退職させてもらいます」と施設長に告げましたが、施設長からの提案が2つありました。

  • 今のグループホームのメンバーのクセが強いので、違うグループホームに移動させること
  • 身障者のケアではなくパン屋で働いてもらうこと

給与面や勤務時間の事が何も解決しないまま問題をすり替えるだけの提案で、大きな改善はありません。

住む場所と勤務場所が1ヶ月で変更になり、新しい生活がスタート。

新しいグループホームでも私と利用者の方が4人の計5人で生活し、週末だけ家に帰る。

利用者はパン屋で働けるレベルなので、以前一緒に生活していた方々とは異なり、支援も特に必要なく、お互いに干渉しない生活になりました。

新しい生活では、昼にパンを売って、夜はグループホームに帰って朝にまたパン屋に向かうというもので、住み込みでパン屋のレジ打ちをするような日々で、いよいよ得るものがなくなりました。

新しいグループホームで1ヶ月過ごした後、試用期間である2ヶ月で退職しました。

まとめ

「仕事を始めたら歯を食いしばってでも3年は勤務しろ」という言葉を信じて仕事を続けていたら何か得るものはあったかもしれませんが、早めに決断して次の道にいく方が良い場合もあります。

障害者福祉施設を退職後、もう1度の転職を経て現在の職場で働くようになりますが、当時の私は「仕事をまともに続けられない社会不適合者」だと自分を卑下することもありました。

しかし勤続年数20年をむかえた現在分かったことは

・自分に合う仕事なんてやってみないと分からない

・自分に合った仕事につけるのは幸運である

・勤務環境、勤務の時間に問題がある場合無理せずやめろ

一つの可能性にしがみつく必要はありません。

一つのことにしがみついていると他が見えなくなる可能性があります。

失敗を恐れずにどんどん行動しましょう。